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祖父が亡くなりました。

 

こんにちは。はっぴぃです😊

 

数日前、私の祖父が亡くなりました。

大正14年生まれ、93歳でした。

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頑固者でプライドが高く、祖母に対してはまさに亭主関白な昔の男という感じ。

 

今、祖父が亡くなって真っ先に私の頭に浮かぶことは、

30年近く前によく家に泊まりに行った私や妹に、目じりにシワがいっぱいのニコニコの笑顔で、優しく名前を呼び掛けてくれたこと。

 

公園で遊んで、歩いて近くの駄菓子屋さんに行って、お風呂に入ってご飯を食べて、それから祖父と祖母の布団の間に私と妹の布団を敷いて眠る…楽しかった。

 優しかったおじいちゃん。

 

65歳を過ぎて、自分で家を解体したり(幼かったので正確な記憶ではないかもしれませんが、引っ越し前に、以前住んでいた家の上に登って斧なのかよくわからない物でガンガンと壁を崩していた光景を覚えています。)、

 

第2のお勤めとして働いていた工事現場で、2階ほどの高さのところから転落して全身包帯ぐるぐる巻き状態で私たちを家に迎え入れたり…

パワフルだったおじいちゃん。

 

囲碁や将棋がとても強く、家に賞状がたくさん飾られていました。

家の水道管などの不具合も、自分で直したそうです。

 何でもできたおじいちゃん。

 

あまり話したがることはありませんでしたが、若いころは戦争を経験し多くを見てきました。

 

私が小学校高学年のころの戦争の授業で、祖父母に話を聞ければ聞いてきましょう。という宿題のときに少しだけ話してくれました。

 

終戦後は、必死に努力して濃い人生を歩みました。

 

大人になってからは祖父母の家に行くことは年に数回になっていましたが、

私の子供が生まれて落ち着いてからは、2週間に一度くらいは顔を見せに行っていました。

 

90歳を過ぎてもうヨボヨボで、ほとんど一日中ベットで眠るかテレビで時代劇を見るだけ。

何度か病院に運ばれて薬を飲むようになっていました。

 

好きで熱心だった相撲の番付チェックや、高校野球の勝敗チェックなども徐々にしなくなっていました。

 

ベッドから移動するのは、ご飯やトイレ、お風呂のときなどにゆっくりゆっくり歩くだけ。

プライドが高かった分、ほとんどのことを自力でできなくなった自分への苛立ちから、私の父やその弟に当たり散らすことも多々ありました。

 

だんだん忘れっぽくなり、私や妹の年齢をたびたび聞いて

「そうか~。もうそんなに大きなったんか~。」と驚いていました。

 

それでも、ひ孫たち(2歳になった私や妹の子供)がベッドに走り寄っていくと、私や妹に向けていたあの頃の笑顔と同じ笑顔で「(いないいない)ばぁ~っ。」とあやそうとしてくれました。

ちゃんと、ひ孫であることも認識してくれていました。

 

おじいちゃんと私の子供と妹の子供と。

定期的にみんなでお昼ご飯を一緒に食べることができたことに感謝です。

 

亡くなる一週間ほど前にも、ひ孫を見せに家に行けたことはとても良かったです。

 

悲しみや寂しい気持ちももちろんありますが、長い人生お疲れさまでした、という気持ちの方が大きいです。

 

大きい大きいおじいちゃんという存在。

おじいちゃん、本当にありがとう。

長い間お疲れさまでした。

ゆっくり、ゆっくり休んでね。

 

 

最後まで読んで下さりありがとうございました😊

また覗きに来て下さいね🎵